パンツナイマン・コラム
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田村の実家の寿司屋に行った事がある。前田日明がカレリンと闘った年だから、2年前の事になるんだろうか。 WOWOWの田村の特番に1カットだけ映っていた実家の映像を頼りにして行ったのだ。彼女と二人、岡山旅行のついで、というよりその為に企画した岡山旅行だったようにも思う。 タクシーの運転手に 「岡山出身の有名な格闘家の実家に行きたい」 と話しても 「B’Zって人の実家は福山にあるけどねぇ」 なんて言われるのみで、 僕らは電話帳で住所を調べて、コンビニで場所を探した。 郷ひろみの「GOLD FINGER’99」が流れる店内で僕は 「やっぱりやめようかな。どうしようかな」 と女子高生のように悩んだりもした。(「アホか」という目で彼女は見ていた。) ドキドキしながら入った店には職人風のお父さんと包容力のある感じのお母さんがいた。ちょうどお客さんが僕らしかいなかった事もあって、田村の話を色々聞かせてもらった。早く結婚してほしいなんて事も言っていたように思う。調子に乗った僕は、持っていった「赤いパンツの頑固者」にサインをしてもらった。 さらに調子に乗って僕は、後日当時賑わっていたオフィシャルの掲示板にその事を自慢して書き込んだ。田村本人に「そういう事は迷惑なのでしないで下さい」ときつく叱られた。なんだかとても昔の事のようにも思える。 何度も何度も読み返した「赤いパンツの頑固者」。 僕が何よりも好きだったのは田村のリングスへの入団の経緯を綴った箇所だった。誘われていたパンクラスではなくリングスを選んだのは、決して不義理ではないと田村らしく否定した後で、前田日明の態度に心を動かされたのだと田村は語った。 「僕が弱い自分の時に、前田さんも弱い前田さんで接してくれた」 そんなような事を語っていたように思う。いい話だと僕は思った。Uインターから疎外された田村と、常に孤立無援であり続けた前田日明とが共鳴しあった瞬間。そんな幻想が僕のリングスへの興味の出発点となったように思う。(巻末の前田日明との対談で「は」としか応えられない田村も微笑ましかった。)98年の初優勝のお立ち台では、前田日明に対する質問を投げかけられて 「本人の隣じゃ、いいにくいに決まってるだろー!」 とヤジが飛んで、二人とも苦笑いを浮かべていた。 二つの孤独で不器用な人間が交わり合う、そんな光景が僕はとても好きだった。 いつから田村は自分の思いを直接前田に対してぶつける事ができなくなったのだろうか。ヘンゾ戦の勝利にもらった金無垢のロレックスは、今どこに仕舞われているのだろうか。 それもこれも全て「若気の至り」と笑うのだろうか。 11月発売の紙プロ。 田村の久しぶりのインタビューを読んで、とても悲しくなった。 田村は何処に向かおうとしているのか? もしかしたら、もうそんな事は格闘技ファンの主な関心事では無くなっているのかもしれないけれど、かすかな希望を持って彼の動向を拾ってきた自分ではあったのだ。 しかし「適当ですよ」「若気の至りでした」田村はそんな言葉で、誤魔化そうとしていた。何を?明確なビジョンを描けない自分をである。 「自分に<点>だけを求められても困る」 そんな事も言っていた。あったり前である。田村が描いてきた線の続きを見失っているのはこっちなのに。 ヤマケンの方が何倍もわかりやすい「筋」を持っているように見えるのは、あまりにも悲しい。ただただ思う。田村は今、試合をするべきなのだ。 田村潔司が最も輝いていた瞬間、それはヤマヨシとの初戦と、そして第一回KOKでのヘンゾ戦の2試合に尽きるように思う。山本との試合前、UWFインターのジャージを着てきた田村、そしてヘンゾ戦でのUWFのテーマでのリングイン。田村は負けたら今まで築き上げた全てを失うような状況を、あえて自分で作り上げ、その孤立無援の闘いを一人で生き抜いて見せた。そして、僕らはその<心意気>に対して感動したのだ。それぞれの、ままならない現実を生きている同世代の人間にとって、自分なりのこだわりを貫き、それを証明していく田村の生き方とメッセージは、試合を通して確かに届いていたと思う。 「必ずしも全ての人に受け入れられなくても、自分が信じた道を貫けばいいんだ」 少なくとも、僕はそんなメッセージを受け取っていた。 繰り返して言うが、それはそんな遠い昔の話ではない。 田村に<UWFスタイル>を復活させてほしいとは、僕は思っていない。試合を通じて、田村の現在を見せてほしいと思う。ノゲイラやババル、シムとの闘いのように、かつてのような爆発的な感動を期待する事は、もうできないのかもしれない。しかし、ままならない現実の中で、格好悪くあがく田村の姿にも僕らは何らかのメッセージを受け取る事ができると思うのだ。 今年の春、アブダビで一回戦負けの後語った、 「いつかこのルールにリベンジする」 という田村の言葉を僕は信じている。そして 「自分か、そうでなかったら自分の弟子が」 と田村は続けた。 自らを「中間管理職」と位置づけて、あくまでリアルな試合を通じて何かを証明し、変えていこうとしていた田村の姿がそこにあった。あの時の気持ちを取り戻して欲しいと切に願う。 「(指が)治っちゃったから、どうしようかな」なんて言う言葉はもう聞きたくない。 恰好悪く負ける事を怖れるようになってしまったら、もうそれは田村ではない。 後進が格闘技で生活する為の道を造ろうとする田村なりの考えも理解できる。しかしどんなに田村が頑張ろうとも、後輩は後輩なりに自分で道を開かなければ、つまり、田村を否定するような存在にならなくては現在のこの世界で生き残っていくことは不可能だ。(そういう意味では、田村の道を継ぐのはヤマケンなのかもしれない)田村のスタイルは、田村だけのものだ。それを伝承していく事などできない。もしできるとすれば、田村のスピリットを伝える事だけだと思う。田村がかつてプロレス、そしてUWFから何かを受け取ったように。そして格闘者としての時間が残り少ないとすれば、田村に残された課題はそれしかないのだと僕は思う。 前田日明が辿った、決して格好良くなかった30代。田村は田村のやり方で、その道をたどるべきなのだと思う。 「自分は今年10年目を迎えるんですけど、色々苦しい事とか ありまして、 一つの事を続けることは難しい事で、 ファンのみなさんも、 苦しいことがあったら、 そこで逃げないでその苦しさと闘って、 夢とか目標を持って頑張ってもらいたいんで・・・」 「自分もファンの人に手紙とかもらって、 希望とか与えてもらってますんで、 自分は、練習したことをみなさんに見てもらって お互い頑張っていきましょうって感じなんで、 みなさんも頑張って下さい」 (1998.1.21 日本武道館メガバトルトーナメント優勝インタビュー) かつて田村の試合から受け取り、励まされたメッセージを あえて今、田村に送りたい。目の前の現実から、逃げるな田村。 |